人生を選ぶということ

 私は小さい頃、全く勉強ができなかった。中学校3年生の夏休み。通信簿の内申点はオール2に届いていない。

「息子さん・・・。この間までは、高校進学は果たせないかもしれません・・・。」

 人生で初めての、この能動的選択である進路決定で、いきなり当人の意に反する選択肢を受け入れなければならないかもしれないこの事態・・。

 まぁ、当の本人は貴重な夏休み、毎日ルアーフィッシングに明け暮れ、順調にバスアングラーとしての腕に磨きをかけていった。親は、日々目を輝かせて趣味に没頭するその姿を見て、息子の熱中する姿を尊く思っていたようだ。これも私達の子育ての責任。言っても机に向かってくれない。もう、どうしようもならないのかもしれない。そんな状況に自責の念を抱き、せめてもの償いだったのだろうか、釣り道具をプレゼントしてくれた。釣り番組で見たプロアングラーの振る舞いを必死で真似て、フィールドで知り合ったおじさんアングラー達からは、プロっぽいね~と、感嘆の言葉を浴びる事もあった。

 夏休みも残り数日。宿題はほとんど着手されていない・・・。

 人は夢中になれるとき、そしてその姿が肯定的に受け入れられるとき、初めてその真価を発揮するのかもしれない。

 中学三年の2学期から、だんだんと机に向かって勉強ができるようになり、そして人並みに高校に進学をする事ができた。学科の選択は、これから迎える3年間が苦痛にまみれることを恐れ、進学を前提とする普通科ではなく、手に職を得られる(と思い込んでいた)商業科へ進学する事にした。

 そんな縁で、生まれて初めてコンピュータに触れ、それなりに一生懸命に勉強した。お陰様で、学内では成績優秀だった。進学から逃げたのに、逆に自信がつき進学したいと思うようになった。多大な教育投資を受ける許しを得て、大学にも進学させていただき、情報処理コースを卒業する事ができた。

 しかしながらその後、将来の夢だった教職に就くことは出来なかった。大学卒業後も諦めずに頑張ってみたが無理だった。せめて沢山の教育投資を受けた恩に報いるためにも、情報技術を生かした仕事に就こうと考えた。派遣社員としてスタートし、その時は収入が少ないので家庭教師の副業も掛け持ちした。その傍らでIT資格試験の勉強を継続し、なんだかんだで様々な知識を得る事ができた。

今では社内SEとして活躍させていただいている。

教職に就きたいと思ったきっかけは、学校が好きだったから。

夢は叶わなかったが、現在従事しているシステムエンジニア職は、狭き門だと言われている。そんな中でも日々技術を磨き、趣味のように勉強をして新しい技術を職場に提案し、時には後輩の指導をし、充実した日々を送っている。

人生での選択は、時として叶わないことがある。それでも努力をした事は、報われるんじゃぁないだろうかと思う。名曲である『与作』を創作された七澤公典さんは、「どんな人でも10年ギターを続けた人は、それで食っている」とおっしゃっている。

日々、あるかわからないずっと先の人生の為に、今を、「うさぎ」ではなく「亀」として過ごしたい。